『 指定文化財』のついた記事の一覧です:21件
越後山遺跡出土種子圧痕土器
越後山遺跡出土種子圧痕土器は、発掘調査による出土であることから原位置や帰属時期が明らかです。また、当該資料の特徴である種子圧痕については、県内でも類例が少ない事例であるだけでなく、縄文時代のマメ類のドメスティケーション化 […]
越後山遺跡出土ヒスイ大珠
越後山遺跡出土ヒスイ大珠は、発掘調査による出土であることから原位置や帰属時期が明らかであることに加え、ヒスイ製の優品であると考えられます。また、副葬品と考えられることから、当該地域の縄文時代中期の実態を解明するための重要 […]
浅久保浅間神社富士塚
この富士塚は、浅久保浅間神社境内地にあり、少なくとも明治6年(1873)に丸吉講によって築造され、その後移転ないしは移築しています。このことから、現存する富士塚は当初のものではありません。しかし、多数の石造物が残り、当時 […]
白子熊野神社富士塚
この富士塚は、白子熊野神社境内地にあり、石碑の銘文から明治3年に丸吉講白子講社によって築造されたと考えられています。塚は、一辺約30メートルの正方形で、舌状台地の末端部を成型して構築した塚と考えられています。高さはおよそ […]
下新倉氷川八幡神社富士塚
この富士塚は、下新倉氷川八幡神社境内地にあり、石碑の銘文から明治3年(1870)に丸吉講下新倉講社によって築造されたと考えられています。しかし、山頂の神名碑や参道部の築山碑には、かつて築造された富士塚が嘉永元年(1848 […]
【埼玉県指定有形文化財】午王山遺跡出土品
「午王山遺跡出土品」121点が、平成30年2月27日に埼玉県指定有形文化財として指定されました。 121点の遺物のうち、107点を「午王山遺跡発掘調査出土の弥生時代遺物」として、平成29年3月31日付で和光市指定文化財に […]
弥生式つぼ
紀元前3世紀頃から紀元3世紀くらいまでの弥生時代に作られた素焼きの土器。用途により器形に違いが生まれ、煮沸用に甕、貯蔵用につぼ、供献用に高杯の形となった。文様はシンプルになり、無文も多くなる。 つぼは白子小学校の敷地から […]
鰐口
寺の軒下に吊す鉦。参拝者が、礼拝のときに布で編んだ縄をゆすって打ち鳴らす。響きをよくするために、下に横長の大きな口があいている。 この鰐口は、和光市の金工品としてはもっとも古いものである。 この鰐口は、表面に刻んである銘 […]
具足(鎧兜)
下新倉の名主を勤めた柳下家に伝わる甲冑で、室町時代末期の頃のものと言われている。 当時は、鉄製の胴で、兵器の変化に応じて身体を被うため、身体の各部に小具足をつけた。また個人意識が発達したため非常に複雑な形になった。 この […]
冨澤家地方文書
江戸時代白子村は、徳川家康に従って伊賀から移り住んだ伊賀衆の領地であった。冨澤家地方文書の中の「永代地方目録」は、そうなったいきさつを、領地の存在をはっきりさせるために、覚え書きとして残されたものである。 家康は、天正1 […]
地方文書
江戸幕府は、キリスト教を禁止し、すべての人が寺院に属するように定めて、登録させた。その登録簿が、宗門人別帳である。宗門人別帳は、家族全員・奉公人にいたるまで、旦那寺の名・名前・年齢・続柄などが記載され、戸籍の役割も果たし […]
大いちょう
長照寺の境内にある大いちょうは、推定樹齢が約700年といわれ、近郷随一の老樹である。幹まわりは7.5m以上あり、高さは約29mもある雌株の大木で、秋の黄葉は一段と見事である。 出典:文化財をたずねて
ささら獅子舞
和光市で、ただひとつの獅子舞で、毎年下新倉氷川八幡神社に奉納される。 地元の古老の話では、室町時代の元亀3年(1572)に始まったと伝えられているという。大獅子・中獅子・雌獅子の3つの獅子頭を使い、太鼓をたたき、水引幕を […]
太鼓
ささら獅子舞のおり、使用する太鼓である。太鼓の皮を張替えたとき、享保20年(1735)の年号を確認している。 出典:平成23年度和光の教育 和光市教育委員会発行
五輪塔
五輪塔は、亡くなった人の供養や墓として建てられたもので、全国に広く見られる。下から、方形・円形・笠形・半円形・宝珠形の石を重ね、それぞれが地・水・火・風・空を表し、これらが宇宙を作り上げている要素としている。 壱鑑寺墓地 […]
吹上観音百庚申
吹上観音の裏手の小高い場所に、庚申塔が2列に百数十基も並んでいて、百庚申と呼ばれている。庚申塔はふつう道端や辻などに、1ヶ所につき1基から数基建てられている。この百庚申は、見事な親庚申塔と134基の子庚申塔からなっていて […]
白子囃子
江戸時代末期に、白子宿の柴崎音五郎という人によって始められ、現在は7月26日の諏訪神社祭と、10月第1日曜日の熊野神社祭に奉納されている。 音五郎は、水車営業のかたわら、近所の子どもたちに手習いを教えていた。当時の青年た […]
旧冨岡家住宅
旧冨岡家住宅は江戸中期(17世紀後半)に建設されたと考えられ、その規模も当時の中で最大に属する。和光市内においては最古の民家であり、解体後部材として保管されたが、現在は復元され新倉ふるさと民家園として一般公開している。 […]
午王山遺跡第1次調査出土板碑群
板碑は一般的には板状の石で作られた供養塔で、ほぼ中世期にのみに立てられたという特徴をもつ。中心には図像や梵字で仏が刻まれている。九州・四国・東北など各地にあるが、とくに埼玉県を中心とする関東地方には緑泥片岩でつくられた「 […]
漆台遺跡第1号住居跡出土 須恵器円面硯及び伴出遺物
1995年の漆台遺跡の発掘調査で出土。円面硯は遺存状態が良好で完形に近く市内初の出土例であり、東金子窯跡群産で平安時代9世紀第2四半期末?9世紀第3四半期であると推定されている。 出典:平成23年度和光の教育 和光市教育 […]
午王山遺跡
午王山遺跡は、武蔵野台地の北東端部、荒川低地を望む標高24~25mの独立丘陵上に位置する弥生時代後期の環濠集落である。昭和53年から15回にわたる発掘調査が実施され、集落の構造が明らかとなった。竪穴建物は弥生時代中期後半 […]