和光市の文化財

ごりんとう 五輪塔

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五輪塔は、亡くなった人の供養や墓として建てられたもので、全国に広く見られる。下から、方形・円形・笠形・半円形・宝珠形の石を重ね、それぞれが地・水・火・風・空を表し、これらが宇宙を作り上げている要素としている。
 壱鑑寺墓地の中にあってひときわ大きく目をひく3基の五輪塔の内、中央は江戸時代に新倉村の領主で旗本だった酒井壱岐守忠重の墓である。3段の礎石とともに3.85mの高さがあり、堂々としている。

ほぼ同じ大きさの左右の五輪塔は、右が忠重の夫人のもので、左は二代忠興の夫人のものとされる。

酒井忠重は、江戸時代初期川越2代藩主酒井忠利の三男で、当初500石を分与されていたが、後に2000石を与えられ、さらにその後3000石加増されて、総高5500石の大身旗物となった。所領は下新倉をはじめ入間郡や上総・安房にも及んでいる。

 

出典:文化財をたずねて