江戸時代末期に、白子宿の柴崎音五郎という人によって始められ、現在は7月26日の諏訪神社祭と、10月第1日曜日の熊野神社祭に奉納されている。
音五郎は、水車営業のかたわら、近所の子どもたちに手習いを教えていた。当時の青年たちが、遊びに身を持ち崩すことを心配していたが、神田明神の祭囃子に打ち込む若者の姿を見て、これを白子にも伝えたいと願った。そこで、当代随一の神田囃子の笛の名手で、板橋宿に住んでいた三喜を師匠として白子に迎え、寄付を募り、白子囃子が生まれた。
14代将軍家茂のときには、江戸城に招かれて賞賛を受けるほど発展したが、幕末の混乱で影をひそめ、昭和の初めに関係者の尽力が実って復活した。その後、太平洋戦争で再び中断したが、昭和54年(1979)市の教育委員会により「白子囃子後継者育成講座」が開かれて復活し、現在に至っている。
出典:文化財をたずねて
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