お知らせ

2014.12.1

「庚申塔」と「馬頭観音」を民家園に移設しました

移設を余儀なくされた古い石像物である「庚申塔」と「馬頭観音」を、新倉ふるさと民家園に移設しました。

民家園にお立ち寄りの際は、どうぞご覧ください。

庚申塔(『和光市史民俗編』 No.1‐12)

今回移設した庚申塔は、元々は新倉2丁目1398(宮坂下の辻)にありましたが、和光北インター地域土地区画整理事業に伴い移設を余儀なくされたためこの場所に移設しました。庚申塔とは、庚申信仰に由来して造立された供養塔です。江戸時代に多く建立され、文字を刻む文字塔や、青面金剛像を彫刻したものなど、色々な種類があります。

移設した庚申塔は、明和七(1770)年三月に造立されたもので、石橋講と刻まれていることから、石橋供養の意味も兼ね合わせていたものと思われます。

移設前所在地:新倉2丁目1398(宮坂下の辻)

新倉氷川八幡神社裏の台地下にあたる道の辻に立っていました。

移設後所在地:新倉2丁目33-1(新倉ふるさと民家園)

民家園と隣接する公園の境界に移設しました。

馬頭観音(『和光市史民俗編』 No.3-4,3‐11)

今回移設した馬頭観音は、和光市広沢一丁目3の旧消防庁舎跡地にありましたが、施設の解体工事等に伴いこの場所に移設しました。馬頭観音とは、宝冠に馬頭をいただいて憤怒の表情の観世音菩薩です。馬の供養や無病息災の願いをこめて、石塔として江戸時代に多く造立されました。文字を刻む文字塔や、像を彫刻したものなどがあります。また、馬頭観音は道しるべを兼ねて道路の辻に立てられることもありました。

この馬頭観音は、右側が寛政四(1792)年二月、左側が慶応二(1866)年二月に建立されたものです。それぞれ「下新倉」、「上新倉」と書かれていますので、別の場所に建てられていたものと思われます。

移設前所在地:和光市広沢1-3(旧消防庁舎跡地)

旧消防庁舎跡地にひっそりと立っていました。

移設後所在地:新倉2丁目33-1(新倉ふるさと民家園)

新倉ふるさと民家園の園外自動販売機の横に移設しました。