お知らせ

2023.10.27

市内3基の富士塚が市指定文化財に指定されました!

市内3基の富士塚は、明治時代初頭にかけて富士講社により築かれたもので、当時の富士信仰知るための貴重な歴史、民俗資料であるとして、以前より市指定文化財の指定に向け調査を進めてまいりました。

調査の報告として、令和4年度には「和光市の富士塚」を発行し、文化財保護委員会の答申、教育委員会の承認を経て、令和5年9月21日に和光市指定民俗文化財に指定されました。

今回市指定文化財に指定された市内3基の富士塚をご紹介します。

下新倉氷川八幡神社富士塚

現在の富士塚は、石碑の銘文から明治三年(1870)に丸吉講によって築造されたことが分かっています。しかし、山頂の神名碑や参道部の築山碑には、かつて築造された富士塚が嘉永元年(1848)に再建され、さらに明治三年に現在の富士塚が位置をずらして築造されたことが記され、さらにこの富士信仰の起源が慶長十九年(1614)に遡る可能性があることが記されています。

白子熊野神社富士塚

この富士塚は、明治三年に丸瀧講によって、舌状台地の末端部を成型して構築されたと考えられます。塚の規模は、一辺30mの正方形で、高さはおよそ10mを測り、県内でも最大級の大きです。 丸瀧講白子講社以外の講社によって造立された石造物が19基もあることから、他地域との文化交流がうかがえる事例となっています。

浅久保浅間神社富士塚

この富士塚は、少なくとも明治六年(1873)に丸吉講によって築造され、その後移転ないしは移築していることが分かっており、現存する富士塚は当初のものではありません。 しかし、多くの石造物が残り、当時の富士信仰を知るためには非常に貴重な資料です。 また、下新倉氷川八幡神社と同様に、この富士信仰の起源が慶長十九年に遡る可能性があり、現富士塚の前史が想定されることから、大変貴重な事例となるものです。