和光市の遺跡

ごぼうやまいせき 午王山遺跡

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    午王山遺跡第一次調査出土板碑群
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    環濠(1号溝)
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    環濠(6号溝)
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    午王山12次全体写真
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    午王山13次環濠土層
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    午王山14次全体写真
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    住居跡1
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    第2次西から
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    第2次調査空撮1
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    第2次調査空撮2
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    第2次調査空撮3
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    第2次調査風景
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    第5次調査A区環濠(1号溝)
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    第5次調査環濠(2号溝)
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    板碑・中世常滑甕出土状況
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    板碑出土状況1
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    板碑出土状況2
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    方形周溝墓確認状況
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    方形周溝墓全景
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午王山遺跡は、武蔵野台地の北東端部、荒川低地を望む標高24~25mの独立丘陵上に位置する弥生時代後期の環濠集落である。昭和53年から15回にわたる発掘調査が実施され、集落の構造が明らかとなった。竪穴建物は弥生時代中期後半から後期の約150棟が検出され、時期により竪穴建物の平面形態に変遷を確認した。

環濠は後期中葉前半に掘削され、後期中葉後半には埋没したと考えられる。ほぼ並行して二重に掘削されており、同時に機能したとみられる。方形周溝墓は、環濠外の南東部で5基検出されたが、埋葬施設や時期等は不明である。

出土土器には、中期後半には南関東系、後期前葉には南関東系と北関東系とが共存し、後期中葉になると東海東部に系譜が求められる土器が主体となる。時期により異なる系統の土器が確認でき、関東では出土事例が少ない銅鐸形土製品や帯状円環銅釧(おびじょうえんかんどうくしろ)が出土したことは、本遺跡が遠隔地との交流や往来があったことを示す。関東では類例の少ない弥生時代後期の同時性が確認できる多重環濠集落の成立から廃絶までの過程が明らかとなった遺跡であり、荒川中流域と南北関東の地域間交流の接点として機能するなど、関東における弥生文化の交流の実態を知る上で重要な集落遺跡である。

このような重要性が認められ、午王山遺跡は令和2年3月10日に国史跡に指定されている。

午王山遺跡に関する指定文化財指定状況

国指定文化財

午王山遺跡(史跡)・・・・・・・・令和2年3月10日指定

埼玉県指定文化財

午王山遺跡出土品(考古資料)・・・・・・・平成30年2月27日指定

和光市指定文化

午王山遺跡第1次調査出土板碑群(考古資料)・・・平成19年7月1日指定